「弱音を人に喋ることに対して後ろめたさを感じる」ということをもう何度も書いた気がするけど、そう思ってしまう理由は、僕が愚痴を聞くことがつらくなったがために離れることを選んだ友人関係が、過去にあったからだ。その経験が呪いのようにまとわり続けてきた。
でも最近ふと思ったのだけど、「愚痴を聞くのがだんだんつらくなった結果、友達を続けるのがつらくなっていった」のではなく、「実はもともと信頼関係をお互いちゃんと築けていたわけではなくて、単に "深く信頼できてない人の愚痴を聞く行為が苦痛" というだけだった」のではないか、と思い直すようになってきた。
だから、あまり深く考え過ぎないようにしたい。いや、また考えちゃうんだろうけどね、どうせ。だとしてもここで文章に表す意義はあると信じたい。