- 本・ゲーム・映画を人に薦めるのって自分は出来ないんだよなぁ。
- 相手に時間を何時間も取らせるものだから「もし合わなかったら...」って考えちゃうし、自分なんかが相手の大切な自由時間に何時間も干渉するのがおこがましい気がしちゃうのよね。
- (ここでも自己肯定感の低さが影響している)
- YouTube の動画とか、インスタのアカウントとか、曲みたいな、鑑賞する時間が短いものは、例外的に気軽に薦めてる。
「私には私の、あなたにはあなたの地獄がある」
※ 「タイトルの言葉が苦手」という話です。下記は僕の個人的な感覚であり、誰の意見も否定するつもりはないことをお断りしておきます。
- けっこう前から、はてブや Twitter で「 私には私の地獄があるし、あなたにはあなたの人生の地獄がある 」という言葉が流行っている(Twitter 検索)
- 意味合いとしては「 人それぞれの抱える地獄に優劣はない。だから「こんな贅沢なことで悩んで...」と罪悪感を感じる必要はない 」という意味で使われている
- 初出は TBS 宇垣アナの発言 かな。
- この言葉に救われている人もたくさんいると思うので非常に言い出しづらいのだが、自分はこの言葉が非常に苦手だ。。
- 違和感を端的に言うと、 自分より苦しい人を視界に入れないための正当化に使われている というか、臭いものに蓋をする魔法の呪文になってしまっているように感じる
- もちろん、この言葉に救われている人達は、そんな意地悪な気持ちは一切持っていないだろうけど
- そもそも、 人の境遇が平等でない以上、地獄に優劣が無いわけがない
- 極端な例だけど、例えば、家が太くて一生働かずにいられる健康な人と、病気で死にそうな人が「優劣のない地獄」なわけないよね
- だから僕は「贅沢な悩み」という概念も「自分より地獄な人」という概念も否定したくない
- 「人それぞれの地獄に優劣はない。だから私は、自分の悩みを贅沢な悩みとは思わない」ではなく、「私よりもっと地獄な境遇の人はいる。だけど今はそのことに思いを巡らす余裕はないから、自分のことだけ考える」だったら違和感は無かったかもしれない
- 僕は自分より苦しい人の存在を見ないふりをしたくないから、「これは贅沢な悩みかもしれない」ということに悩み続けていたいし、自分より地獄に生きる人のことを思って傷つき続ける方を選びたい
関連エントリ:岡本太郎のぶっ飛んだ理論
2023 年 振り返り。個人開発と闘病と
今年を一言でまとめると、残念ながら「頑張ったがなかなか報われない年」だった。
個人開発
- 年の後半からは、生活費のため、既存で出している拡張機能をひたすら有料化していた。これが非常に辛かった。
- つらいポイント (1):ユーザーから様々な言語でバッシングされた。
- つらいポイント (2):今までは人の暮らしを便利にするためにプログラムを書いてきたが、「既存アプリの一部機能を有料化する」ということは「アプリをより不自由なものにする」という行為だ。せっかく今まで手塩にかけて育ててきたソフトウェアの便利さを自ら毀損することが、我が子に傷を付けるようで非常にしんどかった。
- これだけの心労と時間をかけて得たものは、ほんのわずかばかりのお金だけだ。有料化をするという決断は正しかったのだろうか、と今でも分からなくなる。
- ただ、有料化したことで、(数は少ないながらも)世界中の人が、僕の書いたコードにお金を払う価値があると思ってくれていることが分かって少しばかり自信になったので、有料化して良かった...のかもしれない。
勉強
- 年の後半からは有料化のための開発にかかりきりだったので、インプットはろくにできなかった。
- (まぁ、分からない知識は都度ちゃんと調べながら開発したので、全く停滞してたということはないだろうが)
- とはいえ、今は料理人に例えると ナマクラ包丁で料理をしているという大変効率の悪い状態なので、有料化の開発が一段落した暁には、しばらく新規開発はストップして、半年停滞していた分の勉強を取り戻したい。
闘病
- 働けなくなって 5 年になった。
- 今年も 10 種類近くの薬を試し、どんな苦しい副作用にも耐えてきたが、残念ながら成果は出なかった。
- それどころか症状は悪化し、年の始めには 1 日あたり平均 2.5 時間程度ベッドで休んでいたのが、現在は倍の 5 時間程度ベッドで休まないと、1 日持たないようになった。
- そのため、開発や勉強に割ける時間はかなり短くなってしまった
- 遠出もままならなくなり、現在はタクシーで通院するようになった。
人間関係
- (本人のプライバシーのために若干ぼかして書く)
- 自分には、非常に心の支えになっていた とある大切な友人がいる。しかし今年の始めくらいに、とあるきっかけで、その友人との友情に亀裂が入ってしまった。
- 関係の修復のために出来るアクションをコツコツと積み重ねていったのだが、努力の甲斐なく、結局その友人とはほぼ絶縁状態になってしまった。
総じて
- 上記の個人開発・病気・人間関係の悩みが 3 つ同時に重なったことは、自分にとって非常に辛いことだった。何をどれだけ努力しても状況が辛くなるばかりで、精神的にかなり追い詰められていた。
- 大袈裟だが、この世界に自分の味方をしてくれる人は誰もいないのではないかと真剣に悩んだし、正直まぁまぁ死にたいと思っていた。
- 僕は人に悩みを相談できない性格なので、上記の悩みは、ほとんど誰にも話さなかった。(というか話したところで、自分自身か医者にしかどうすることもできないし)
- しかし、僕に対して、ネット上でいつも通りに接してくれて、なんでもない話題で絡んでくれた友人・知人達の存在はとても支えになったと思う。
- ネットのある時代に生まれて良かった。そうでなければ本当に孤立していた。
■
※ 文字にするとまぁまぁヤバそうですが、文章の印象ほどは実際はヤバい状態ではないです。多分...。
* * *
ずっと調子が良くないが、調子が悪くても、無理やり机に向かってコードを書いてしまう。ということを何ヶ月もずーーっとやっている。
たまに、どうして毎日毎日こんなに無理して苦しい思いをしてまで作業をするんだろう、と自分でも思うことがあるけれど、不調に負けて何もできないと、「美味しいもの食べることができたり、出かけることができたり、遊べたり、広い家に住めたり、趣味にお金を使えたり、旅行に行くことができる健常な人達」に対して、本当に僻みしか感じなくなって、精神状態が危険(攻撃的)になるから、そういう自分を抑えるためにやっている。... というところが大きい気がする。
コードを書いている限り、「これが自分の生き方だ」と納得ができるから。他の娯楽がどれだけ制限されていても。
この方法以外、人への僻みと、世界への苛立ちを鎮める方法が分からないんだと思う。
AI 疲れしてきた
AI *1 に任せずに、自前で泥臭い作業をしているとき、「今どき、この作業も AI にやらせずに自前でやってるのはダサいのではないか...???」って、もう一人の自分が Dis ってきて、それに若干疲れてきた。
「 AI に仕事をやらせてこんなに効率化しました!!!」みたいなキラキラ記事が毎日流れまくってくるせいで、AI に任せなきゃ遅れてるみたいな強迫観念が若干できてる気がする。(めっちゃ人のせいにしてるけど)
何の引け目もなく泥臭い作業をできていた昔がやや恋しい。
AI は本当に人を幸せにしているのだろうか ... とたまに思わないでもない。という大袈裟な締めで文章を終える。
暗黒日記、嬉しい日記
2 年くらい前? から、バイネームの悪口をどうしても言いたくなったときは、メモアプリに「暗黒日記」というタグを付けて書き込むようにしていた。そこそこ気が収まるし誰も傷つけないので、割とこの方法が気に入っていた。
* * *
最近になって、ふと、「悪口だけじゃなくて ポジティブなことも書いてはどうか?」と思い、友人から嬉しい言葉をかけてもらったときに、メモアプリに「嬉しい日記」というタグを付けて書き込むようにした。
これが割と良くて、自己肯定感の低下してるときに読み返すと、自己肯定感をチャージすることができて、かなり重宝している。
30 以降の人生、助ける人が少なくなりがち
「助けて」という救難信号を発信している人がいる。君はそれを聴き取った。周りを見渡すと誰も気づかずないらしく、そ知らぬ顔で通り過ぎてゆく。でも、君には「助けて」が聴こえた。だとしたら、それは君が「選ばれた」ということである。だったらためらうことはない。近づいて、手を差し伸べなさい
このことは自分も心がけている。お節介かもしれなくても、偽善と思われるかもしれなくても、心配だと思う人には自分から声をかけるようにしている。
手を差し伸べなかった結果、もしものことがあったら後悔するので。。
* * *
体感だけど、30 歳以降の人生って、みんな家庭/家族/仕事のことで精一杯になって他人を気にしてる暇がなくなるので(しょうがない)、20 代の頃と比べてかなり「助けが必要な人を助ける人不足」な世界だなと感じる。
めちゃくちゃ辛い状況になってもその人をケアしてくれる人がいない、ということが自他ともに割と普通に起こりがち。孤立が常にすぐそこにある。それが 30 以降。
だからこそ、独身で自分のことだけケアしていればいい自分は、余力のある時はなるべく助ける側に回りたい。